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待ち駒は卑怯か? ―終盤の将棋3格言

 
 

 「待ち駒は卑怯(ひきょう)な手だ!」という声は、管理人が十代の頃によく聞きました。負けた悔しさはよく分かりますが、しっかりしたルールのある頭脳ゲームに、そんな武士道的なきれいごとを持ちだすのはどうなのでしょう? まあ、昔の話ですから「将棋は頭脳のスポーツ」という考えもなく、合理的に考えられない人がいたのも仕方ありません。

 ところが、ネットなどを見ると、現代でも「待ち駒が卑怯だ」と本気で主張している人がいるのに驚きました。将棋は戦争をモデルにしたゲームで、長い年月を経て日本に入り、現在のルールに発展してきました。いくさでは、敵軍を挟撃して攻めたり、時には待ち伏せして急襲したりするのは当たり前の戦術。将棋でも、敵玉を前後左右からはさみ込むようにして攻めるのが、正しい寄せの考え方になっています。

 「待ち駒」は「縛り」という名の立派な手筋であり、戦術や手筋を卑怯呼ばわりするのはあり得ないと、ほとんどの方は納得できるでしょう。でも、その答えでは納得できない方には、どう説明したらよいのでしょうか? カード(トランプ)と野球を例に考えてみましょう。

敵のやりたいことを妨害し、困らせるのがゲームのセオリー

 ゲームの戦術や手筋について卑怯呼ばわりされることは、トランプの七並べでもよくあります。例えば手札に「スペードの8」があって、その後ろに続くカードを1枚も持っていない場合、そのカードはパスをしてでも場に出さないでおくほうが勝つチャンスが増えます。「いじわる」「そこまでして勝ちたいのか」…と言われても、負けて人を喜ばせるためにゲームをするのでは、それはもはや公正な勝負ではありません。人の上がりを妨害するのが七並べゲームの本質であり、面白さもそこにあります。

 将棋の待ち駒に近い行為は、スポーツにもたくさんあります。例えば野球のバント。ホームベースに覆いかぶさるようにバットを差し出して待つ打者に対して、守備側もバントシフトを敷いて対抗します。これを「卑怯だ。正々堂々と打ちなさい」「守るほうも待ち伏せなんて卑怯だ」なんて言う人はいませんね。好みの問題はあるかもしれませんが、それが野球のルールであり、面白さですから。

 将棋もゲームである以上、お互いに相手の意図を察知してそれを防いだり、相手の弱点をついて優位に立とうとしたりするのは当然です。ルール違反をしない限り、盤上の作戦に卑怯などという言葉はあり得ないのです(ただし盤外の心理作戦は論外で、それこそ卑怯というべき行為です)。

「王手は追う手」 「王は包むように寄せよ」 「王は下段に落とせ」

 将棋は、自玉が手抜きをしても詰まない状況なら、敵玉に王手をかける必要はまったくありません。終盤の格言に「王手は追う手」という教えがありますが、詰まない相手玉を「王手、王手」と追うのでは、せっかく追い詰めた敵玉が安全地帯に逃げるのを手助けすることになります。

 また、それとセットになる格言として、「玉は包むように寄せよ」があります。「包むように」とは、玉が逃げたい方向からはさみ打ちするという意味です。「王は下段に落とせ」という教えも、玉に上部脱出されたら詰めにくいので、断崖絶壁(下段)に王を呼び込んで、上から圧迫するという考え方です。逃げやすい方向から攻めるための準備であり、類似のセオリーといえるでしょう。

 今まで、待ち駒が卑怯だと感じていた方は、ぜひ上の格言を実践し、終盤のさまざまな手筋を身につけてください。急速に上達しますよ。

〔終盤の将棋3格言〕に関連したページ
  
(初心者講座2)  王手は追う手。「詰めろ」で寄せる   王を逃がさない寄せと読み


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