将棋の起源は古代インド
現存する主な将棋は、さまざまな経路をたどって伝わり、それぞれの地域に独自のルールや盤・駒のデザインを生んで、現代まで生き延びてきました。日本将棋もその究極の発展形といってよいでしょう。
四人制の戦争すごろく将棋「チャトランガ」
将棋が古代の戦争をモデルにして生まれたゲームであることは、何の証拠を示さなくても誰もが納得していることでしょう。敵の王様を倒すことがゲームの目的であること、そして駒の名前や動きにも戦争が色濃く反映されています。実際、将棋の起源とされるインドの四人制のすごろく将棋「チャトランガ」は、戦争好きの王様に困った家臣が知恵を絞って編み出したゲームだといわれています。チャトランガの駒は4色に分かれ、それぞれ王、象、馬、車が各1枚と歩4枚がありました。サイコロを振り、出目により駒を動かす点ではすごろくに似ていますが、立派な将棋です。やがてチャトランガは2人制の将棋に発展しました。
起源は同じでも、独自に発展したアジアの将棋
チャトランガの発展形である2人制将棋は、その後、お隣のペルシャ(現イラク)に伝わって、シャトランジと呼ばれる将棋になりました。シャトランジはさらに中東を西に進んでヨーロッパに入り、チェスという完成された形になりました。
一方、チベット経由で中国に入ったチャトランガ(インド将棋)は、シャンチー(象棋)という将棋に発展しました。さらにシャンチーは朝鮮半島に渡り、国の風土に合った「チャンギ」という趣の異なる将棋に姿を変えましました。
チェスがヨーロッパ全土からアメリカ大陸へと、インターナショナルな同一ルールで普及したのに対して、アジアの将棋は南方ルート、北方ルートとも、それぞれの国独自の将棋が生まれています。その中でも日本将棋は特殊で、「取った駒の再利用」という斬新なルールを生み出しました。
次に、日本将棋の原型が北方ルート(中国―朝鮮半島)なのか、それとも南方ルート(タイ)なのかという問題に進みます。 ☆続く⇒日本将棋は、南北どちらから来たか?
※なお、チェス、シャンチー(中国将棋)、チャンギ(朝鮮半島)、マックルーク(タイ)について興味ある方は下記の姉妹サイトをご覧ください。
⇒ チェス、シャンチー(象棋)、その他の将棋(HOME=脳を鍛える脳力トレーニング)