負けると悔しい将棋。囲碁はクール
強くなると、勝ち負けに一喜一憂しない
マンツーマンで戦う勝負事は、勝つと気分がよく、負けると悔しいものです。しかし、盤上ゲームの囲碁や将棋はスポーツと違い、勝った方は露骨に飛び上がって喜ぶようなことはしません。技量が上がるほどに喜びの感情を控えめにするのは、紳士淑女のたしなみです。
とはいえ、囲碁や将棋で負けた側は、抑えても抑えきれない悔しさがにじみ出ます。史上最年少棋士の記録を樹立した藤井聡太プロは、幼い頃、負けると大泣きしたそうですが、囲碁の世界でも同様のエピソードを持った大物棋士がいます。
「泣く子は強くなる」という格言があるかどうか知りませんが、大泣きするほど悔しがる子は、うまく育てればかなり強くなるでしょう。卓球の愛ちゃんもそうでしたね。ただし、凡人は泣くほど悔しい思いをすると、「もうこんなもの二度とやらない」となってしまいます。子どもには勝ち負けの結果よりも、ゲームをする中での面白さを教えていくべきでしょう。
将棋のほうが、負けると悔しいのはなぜか
では、囲碁はなぜ将棋ほどには負けて悔しくないのか? それは、@勝負の目的の違いと、A勝敗を決する山場の違いによるものと考えられます。
まず、勝負の目的ですが、将棋は敵の王様を取り合う「質のゲーム」です。負ける側から見ると、王がじわじわと追い詰められ、最後に首を取られるわけですから、たまったものではありません。
一方、囲碁は囲った地の大きさを争う「量のゲーム」です。級位者レベルでは接戦の場合、終局して数えるまでどちらが勝っているか確信できませんから、勝敗は半ば「運」のようなものです。また、地にはっきりと差がある場合は、薄々そのことに気付いていますから、地を数える作業は気持ちをクールダウンさせる時間帯になるわけです。
次に、勝敗を決める山場の違いも、囲碁のほうがクールになる原因になっています。将棋の序盤は穏やかに着手が進み、中盤になると華々しくなって、終盤に勝敗を決するクライマックスを迎えます。最後に自玉の詰みが逃れられないことを認める無念さは、将棋をやらない人にはわからないでしょう。
一方、囲碁は比較的緩やかな陣取り合戦の布石から始まり、中盤の激しい戦いでクライマックスを迎え、終盤のヨセに入って静かに収束に向かいます。中盤で形成を悪くした場合、かすかな期待を持ちながらも、少しずつ気持ちを整理する時間があるわけです。碁の終局がクールなのは、対局者の性格のせいではなく、碁というゲームの特性がそうさせるのです。
局後の検討(感想戦)について
ただし、弱いうちは終局後に一手目から並べ直すことはできませんし、勝負どころの場面の再現も無理です。これは機械的な記憶力の問題ではなく、一手一手の意味がどれだけ分かっているか、そしてある場面の駒の配置(または石の形)が画像として脳に焼き付いているか、言い換えれば「着手の流れにストーリーがあるか否か」の差です。
将棋では有段者、囲碁では三、四段以上の人に指導対局をしてもらうチャンスがあれば、局後の検討をお願いし、教えを乞うとより早く強くなるでしょう。特に囲碁は、言われなくても教えたくてうずうずしている人が、少なからずいます。