王手は言わないといけない?
初心者の中には、王手をかけたときは相手に「王手」と言わなければならない、と思い込んでいる人がいます。もちろん、将棋にそのようなルールは存在せず、王手と言う必要はまったくありません。
将棋のルールでは、相手が王手に気づかずにそれを防ぐ手を指さなかったら、その時点で反則負けになります。そればかりか、王が相手の駒に取られる場所に動くとか、自分の駒を動かしたら王手の状態になった場合も、反則になります。待ったはルール違反となりますから、即負け。「王様の命にかかわるときに限っての例外規定」などあり得ないのです。
入門直後は「王手」の注意喚起が必要なことも…
「王手は言わなければならない」という誤解は昔のほうが多かったような気がします。考えてみるに、これは超初心者に対する指導的思いやりなのではないでしょうか。まだ、駒を動かすのがやっとで、将棋の形にもなっていない。王と飛車くらいは助けてあげようじゃないかという上手の親切心が、初心者にはルールと映ったのかもしれません。
その他に、親切心とは無縁の動機から、「王手」を発することもあります。気心の知れた仲間との縁台将棋的な雰囲気の中で、気合を込めた手つきと共に言う場合です。「どうだ、まいったか」というメッセージを送っているわけで、それに対しては相手も、何らかの言葉を返します。盤外のコミュニケーションを楽しんでいるわけです。
また、落語に出てくる江戸っ子的な気質の人なら、「てやんでえ。相手が王手に気がつかねェお陰で勝ったって、面白くも何ともねえや!」となるでしょう。縁台将棋的な雰囲気の中で、「王手」というのは当たり前という土壌が育ったのかもしれません。そうした人情は現代ではかなり失われていますから、「相手の反則で勝とうが、勝ちは勝ちだ」とドライに考える人は増えているでしょうね。
「王手」の親切心は、長い目で見ると上達の妨げにも
ただ、何らかの将棋大会に出る場合は、王手の掛け声が習慣になっているとかなりマイナスになります。緊張した場で、相手への攻めばかりに集中していたり、先の読みに没頭していたりすると、王手に気がつかないことは往々にしてあります。また、慣れないチェスクロックを使う場合は、時間に気を奪われて一瞬、頭が空白になることはだれにでもあることです。日頃から「王手の見逃し」に限らず、「二歩」や「二手指し」など、いろいろな反則負けには注意を払う習慣をつけておいたほうがよいでしょう。